長純寺の概要
長純寺の歴史
佐和町は石田三成の居城の佐和山から名付けられた町名です。
慶長五年(1600)、天下分け目の関ヶ原合戦は、佐和山城の落城をもって幕を閉じました。 翌慶長六年、合戦に功のあった井伊直政が、石田三成に代わって佐和山城主となりました。
当寺由緒記によると、藩祖直政公が上州より移封の折、当寺開山・殊山源寶(しゅさんげんぽう)大和尚がお供をされました。大龍寺という天台宗の寺を、開山和尚の前任地の寺号(長純寺)に変え、井伊家の位牌をお預かりしたのが始まりです。
当山五世・愚明和尚が藩令に功があり、清凉寺の開山となりました。その後、十二世までの世代が、歴住碑と由緒記の記述と相違しているが、井伊家の菩提寺が清凉寺と決まり、長純寺が岡本半助一統の菩提所となるなど、当時の混乱を反映したものと思われます。
最古の過去帳には藩祖の姉君「春光院殿」の戒名も記載されており、本堂の近くにがあり、五輪供養塔があります。また、松尾芭蕉十哲の一人、森川許六(もりかわきょりく)の墓もあります。
【本尊】
釈迦牟尼仏
【建立年代】
慶弔六年(1602)
※(来歴は不詳ですが、千手観音立像をおまつりしています)
【建物】
本堂、庫裡、地蔵堂、
※①(山門、鐘楼、稲荷堂、開山堂)・平成十四年までは現存
【道順】
JR琵琶湖線・彦根駅下車
年中行事
当寺は長年無住の状態にあったこともあり、寺院としてのお勤めや行事は多くありません。当面は、下記の法要等を行うのみですが、彦根駅の近くという地の利もありますので、世代交代の折はもっとにぎやかな活動をしていただける寺院であることを希求するものです。
年間行事予定
※ 3月20日 (午前10時 ~ 12時)
春彼岸法要
新型コロナウイルス蔓延防止のため、各お家ごとに本堂でお勤めさせていただきます。 ご希望される場合はお寺までお申込みください。
※ 8月20日 (午前10時 ~12時)
盆法要(施食会法要)
新型コロナウイルスの感染状況にもよりますが、終息宣言が表明されるまでは、春季彼岸法要に準じてお勤めします。 ご希望される場合はお寺までお申し込みください。
※ 8月26日 (午前11時 ~ 午後3時頃)
許六(きょりく)忌法要
松尾芭蕉十哲の一人である森川許六翁の命日に合わせ、各地より会員が参集。
午前中に追善供養法要を営み、午後からは会員皆さまによる句会が開かれております。
歴史ある墓所
高瀬姫 五輪塔
2017NHK大河ドラマ「女城主直虎」では井伊直親の隠し子として登場した「高瀬」。当寺の最古の過去帳には「春光院殿」の戒名があり、藩祖の姉君と記してある。
― フリー百科事典(Wikipedia)』出典より―
生誕は1555年ではと諸説あるが、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。高瀬姫は、れっきとした遠江国 引佐群 井伊谷(静岡県)の領主・井伊直親の娘。井伊直正の異母姉。徳川家康の命令で異母弟・直政の家臣になった川手良則と結婚した。彦根の長純寺に高瀬姫の菩提所がある。春光院殿。
森川許六(もりかわきょりく)の墓所
近江国彦根藩の藩士で、芭蕉十哲の一人・森川許六の墓所。森川許六の屋敷跡には、現在、NTT西日本 彦根別館-電話局(彦根市立花町)が建っている。
― フリー百貨辞典Wikipedia)』出典より ―
森川 許六(もりかわ きょりく)は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。
蕉門十哲の一人。名は百仲、字は羽官、幼名を兵助または金平と言う。五老井・無々居士・琢々庵・碌々庵・如石庵・巴東楼・横斜庵・風狂堂など多くの別号がある。近江国彦根藩の藩士で、絵師でもあった。